針のスプレーのように身体を刺してくる熱いシャワーに、たっぷり20分打たれたあと、1時間以上もかけ、ゆっくりと身支度を整えながら、たった今、大地震が起きてくれればなぁ、否、地震じゃなくてもいい、何かの天変地異で世の中の一切合財が止まってくれないだろうか、そんな不謹慎なことを考えていた。
着慣れないスーツは肩が凝る。
それ以上に、真綿のように首を締め付けるネクタイが気になってしかたがない。
今夜のディナーは、聞き覚えはあっても発音できない名前のレストラン。
ドレス・コードは無いと言っていたが、いつものように、膝が抜けたジーンズにTシャツという訳にもいくまい。
色恋沙汰とは無縁に暮らしてきた私が、五十路に入りこんな思いに捕らわれようとは、考えもしなかった。
けさ早く、携帯から彼女の声が聞こえてきた。
緊急以外はメールでしか連絡をしてこない彼女が、それもこんな時刻に。
いぶかしむ間もなく、弾んだ声で、私の52回目の誕生日を、件の店で祝ってくれると言う。
店の場所を説明する彼女の声は、いつになく明るかった。
飛びっきりの笑顔で話しているに違いない。
脳裏に浮かぶその笑顔が愛しく、そして辛かった。
『今夜はわたしに任せてねっ!』
屈託のない笑い声とともに会話が切れた刹那、私の中に焦燥の念が動き出した。
思えば、彼女から、私への恋心を打ち明けられたときは、まったくの冗談としか受け止められなかった。
仮に、娘だと紹介したとしても、誰ひとりとして不思議がらないだけの歳の隔たりと、私の風采である。
だから、その場は冗談で返し、それ以後もそのように接してきた。
でも、それが不味かったようだ。今になって、そう思う。
その恋心が、彼女の本心なのだと理解できたとき、既に、私の中には綿毛にも似た淡い思いが芽生えてしまっていた。
馬鹿げた思いを自嘲してみたものの、その勢いが衰えるはずもなく、気がつけば彼女の若さに振り回される日々。
幾度も緩みかけた箍(たが)を辛うじて締め直せたのは、重ねた歳の分だけ身についた分別のお陰だろうか。
鏡に映る自分に、そう問いかけようとしたが、言葉が見つからない。
変わりに、どう見ても滑稽な私が、じっと見返していた。
上着を脱ぎ捨て、ネクタイを外し、シャツも脱ぐ。
お気に入りのアロハと膝下丈の綿パンに着替え、恐る恐る鏡を覗くと、生き返った私が笑いかけてきた。
──本当の自分を晒すのが大切なんじゃないかな?
青臭い言葉が思い浮かんだ。
そして、今夜はそれができそうな気がした。
──始まった途端に立ち上がり、最後まで踊り狂うライブも嫌いではないけど、正直、翌日が辛いこと。
──【Avril Lavign】の【Under My Skin】をかけながら、二人でカクテルを飲むのも素敵なことだけど、いつものバーで【Lester Young】の【There Will Never Be Another You】でも聴きながら、バーボンを飲んでる方が私らしいこと。
──日焼けするからと、君が嫌う夏の日差しが、私は大好きなこと。
──感動したから、是非、読んでみてって教えてくれた【世界の中心で、愛をさけぶ】を、一晩かけて読んだけど【片山恭一】って著者名しか残らなかったこと。
──先週末、一生懸命に作ってくれたペペロンチーノは、凄く美味しかった。でも、決して自慢する訳じゃないけど、きっと私の方が上手く作れると思ってしまったこと。
そんな風に、今夜はいろんなことをしゃべってみよう。
そして、恥ずかしいけど、年甲斐もなく、本当に惚れてしまったことも。

これはフィクションで、my Styleのお客様とは関係ありません。。。たぶん
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