私には三十路半ばになる娘がいる。
私を反面教師として育ったせいか、計画的で努力を惜しまない性格は、私の娘ではないと思えてくる。
ともかく、優しすぎる旦那と2人の娘(孫)たちとの家庭を大切にして暮らす彼女を 『私には出来すぎた娘だ』と思えることは、親としては幸せなことには違いない。
親子という関係で括れば同じでも、父親と娘との関係は、母親とのそれとは大きく違ってくる。
性別の違いが大きな要因なのだろうが、それとは別に、目に見えない隔たりが横たわっているように感じてしまうのだ。
結果、窓越しの会話でしか接してこなかったような気がする。
年に数回しか顔をあわせなくなった今は、それが孫を挟んでの会話になってしまっている。
しかし、それは私が一方的に感じているだけのようだ。
この世で一番汚いものと接するように、私との距離を置いていた中学時代を除けば、呼び名が『パパ』から『おじじ』に変わろうとも、父親として接してくれている。
その昔、サントリーのウィスキーが好きだったこともあり、このCM・シリーズが好きだった。
当時は私もまだ若く、上辺だけでしか捉えられなかったのだが、還暦を迎えた今、改めて観かえすと、父親の心を代弁する秀逸な作品だったと気づかされた。
産まれたばかりの娘を、恐る恐る抱き上げた、あの日のように、何の隔たりもなく娘と接する日はやって来るのだろうか?
いやはや、父親とは厄介なものである。
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