味付け

masako

私は数字を記憶することが苦手である。

電話番号はいうに及ばず自家用車のナンバー、クレジットなどの暗証番号、所番地、果ては郵便受けのダイヤル番号まで、とにかく並んだ数字を記憶にとどめることが苦手なのだ。

なかでも日付に関しては、まったく駄目である。

さすがに仕事関係は書きとめておくなりの策を講じてきたのだが、それがプライベートとなると、失敗は桁外れに多かった。

無いに等しい記憶力に頼っているだから当たり前だろう。

例えば、相方の誕生日を忘れ『薄情もの!』とののしられること度々。

近年はiPhoneのスケジュール・アプリのお陰で大いに助かってはいるが、根本的には何ら変わっていない。

それにしても、世間の女性たちは、記念日(彼女たちは、お洒落にアニバーサリーとおっしゃる)の類が、ことのほかお好きなようである。

しかし、【誕生日】や 【結婚記念日】 大目にみても【 出逢った日】あたりまでなら許せるが【初めて***した日】の類まで記念日にするのは如何なものだろう。

とは言え、大切な日を忘れる側が悪いことは確かである。そこのところは、大いに反省しているのは言うまでもない。

誕生日と聞くと思い出す言葉がある。

『35歳から先は歳なんて無くなるのよ、幾つでも同じ。あとはその人の持つ味だけになっちゃうの。これは、ある人からの受け売りなんだけどね』

その昔、長年の女ともだちと、年齢の話をしていたときに帰ってきた言葉である。

その言葉通り、彼女は傍目も羨むほどのいい味をだしていて、とても五十路半ばとは思えなかった。

あの味わいはどこからきていたのだろうと考えてみた。

女性が歳を重ねながら味を増すのなら、その味付けをするのは身近にいる男の仕業だと思う。

現に彼女の連れ合いは、男の私から見てもいい男だったから、この考えは、あながち間違ってはいない筈だ。

閑話休題。

相方と私は8歳離れている。

ということは、私が小学生のころに、相方はこの世に産まれた訳で、これを相方の言葉を借りれば

『あなたが二十歳のころ、わたしはまだランドセルを背負ってたのよ』

となる。

確かに、この時点で私が相方を見初みそめて手を出していれば、これはもう、りっぱに淫行条例違反の範疇である。

相方は、ことある毎にこのフレーズを使い、歳の差を強調してくる。

しかし、若いころならいざ知らず、まもなく七十路に入る私からすれば、8歳の差など無いに等しいと思っている。

『そんなもの、誤差の範疇だろう?』

そう声高に主張したいのだが、受け入れてもらえそうにはない。

挙句、これから先も相方の味付けを担当していく私としては、知力、体力の差を少しでも縮めるべく、若い方たちとの接点を増やすことを習慣とするよう、心に念じることに落ち着くのである。

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