秘密

秘密

東野圭吾(著) 1998年 文藝春秋

【放課後】で江戸川乱歩賞を受賞したものの、その後は泣かず飛ばずだった著者が頭角を現す切欠になった作品である。

これを、20数年振りに再読したのには訳がある。

動画の配信サイトで映画化されたこの作品を観て違和感を感じた上に、それが何故なのか判らなかったからだ。

観光バスの転落事故の影響で妻が憑依ししまった娘との暮らし、という基本的な枠組みは同じはずだったし、結末もおおむね同じである。

私が未だに馴染めないでいる主演女優さんが原因かとも考えたのだが、それも違う。

ならば読み返してみようとなった訳である。

うろ覚えながら、展開や結末は頭に残っていたので、はじめの数十頁は斜め読みしていたが、次第に引き込まれ、気がつけば、最初に戻り熟読していた。

発売されて間もなく読んだ当時、私は46歳。

置かれた立場も環境も、現在とはずいぶんかけ離れた暮らしだった。

この作品も、面白い視点の推理小説と捉えるしか術を知らなかったのだろう。

それが今では、そこかしこで心を揺さぶられる1節に出逢うことができたのだ。

挙句『これこそ、読み終わった本を手放せない所以ゆえんだ』などと、独り悦に入りながらひと晩で読み終えてしまった。

そして、原作は【平介】の物語であるが、映画は【直子】のそれであるという結論に落ち着いたのである。

察するに、小学校6年生の【藻奈美・直子】が25歳で結婚するまでを描こうとすれば、独りの女優さんでは無理がある。

いくら芸達者な子役を使ったとしても、36歳の主婦としての演技はできまい。

そこで、ギリギリ高校生から始めたのだろう。

しかし、私の中では、【藻奈美・直子】が高校に入るまでに見せる【平介】の葛藤があればこそ、結末が理解できた。

それ以上に【平介】が最後にみせた、新郎に向かい『殴らせろ』と拳を握り締めたまま、その場で慟哭する、やり場のない姿こそが、この小説の主題だと思うからである。

とはいえ、小学校の美人担任教師を妄想しながら自慰する場面などは映像化できないだろうから、この選択は仕方のないところに落ち着く。

それと、原作では、かなり重要な伏線として描かれてある、事故を起こした観光バスの運転手の背景も、上澄みだけの処理がされている。

そのくせ、展開だけは同じというあたりでも、映画が目指した先を思い知ることができた。

案の定、映画では最後のシーンは【藻奈美・直子】の涙と笑顔にすり替わっていたからだ。

結果として、原作と映画は似て非なるもの、つまりは別物と考えれば、私の感じた違和感の正体が判明する訳である。

因みに、アメリカで作られた同名の映画も見つけたので視聴してみたが、邦画にも増して別物だった。

国民性の違いと言ってしまえばそれまでなのだが、同じ枠組みの中でも、表現方法によりこれほど違ってくることを発見できたことは面白い。

最後に、原作は、読み手にもよるだろうが、2度と開きたくないという感想も耳にするほど、読後感の悪い作品であるので、そこのところを心してから読み始めていただきたい。

邦画は、主演女優さんが好きならば楽しめるだろう。

肩の凝らない娯楽作品なら洋画をお勧めする。

これが、一粒で三度美味しい【秘密】の感想である。

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