青年は荒野をめざす

五木寛之(著) 昭和47年 文藝春秋

この本を開くのは、これで何度目になるだろうか?

はじめ手にしたのは二十歳のころだった。

その日、一晩で読み終わり、体幹の深いところから得体の知れない熱い思いが湧き上がってきたことを覚えている。

以来、折に触れては開いてきた。

長女の出生、私の入院、転職と、それは私にとって節目の時だったように思う。

そして、今日、両手両足の指を折っても足りない年を経て、再び開いたということは、今が、何かの節目なのだろうかと考えてみた。

しかし、身のまわりに介在するあらゆる節目らしき区切りの類などから遠のいて久しい今の私には、思いあたる節など無かった。

やっぱり、近頃の読書三昧の延長で、活字に飢えていただけなのだろう。

それでも、文中で、プロフェッサー曰く

『・・・・・・人生は何度でも新しくなる。青春は、その人の気持の持ちようで、何回でも訪れてくるんだよ』

このフレーズと出会うたび、青臭い思いが胸をついてくるのだ。

幾度も読み返すうち、手垢と共に、角が擦り切れ、頁のまわりは黄ばんでしまった本書。

私にとって【永遠のバイブル】などと言うには、おこがましいのだが、墓場まで持って行きたい一冊には違いない。

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