
Stan Getz(ts)//Kenny Barron(p)
Recorded live at Cafe Montmartre, Copenhagen, Denmark on March 1991.
【Stan Getz】を天才肌のサックス奏者と称する人は多い。
かのコルトレーンに『もし我々が彼のように吹けるものなら,一人残らず彼のように吹いているだろうな』と言わしめたのも納得できる。
私の好きなアルバムは【Split Kick】54年、【Stan Getz Plays】55年、【In Stockholm】56年と、彼の若いころに集中している。
一般的にクール・ジャズと称されている年代であるし、薬物依存から薬局に押し入り逮捕された時期でもある。
その後、活動の場をヨーロッパに求め、それなりの実績を残し、再びアメリカに戻り【Getz/Gilberto】64年の大ヒットで、一躍有名になり、柳の下のどじょうを狙うも尻つぼみ。
70年代に入り、当時の流行であるフュージョンを取り入れてみたものの、二番煎じの感は拭えなかったと言うのが私の【Stan Getz】感である。
とはいえ、そこは天才である。
どの年代の演奏を聴いても【Stan Getz】であることに変わりはないし、卓越した素晴らしい演奏であることに間違いはない。
ただ、私の好みではないだけの話なのだ。
そして、彼の最後のコンサートとなる、コペンハーゲンにあるカフェ・モンマルトルでの4日間に渡る演奏を編集し2枚のCDに収録したのが【PEOPLE TIME】で、後にすべての演奏を7枚のCDに収めたのが【People Time: The Complete Recording】である。
それぞれのアルバムに関しては、いつもながら『痘痕もえくぼ』的な感想しか書けない私よりも、タイトルで検索すれば多くの方々が感想を書かれているので、そちらを参考にされたほうが賢明だと思う。
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ある定休日に7枚のCDを通して聴いてみたことがある。初日のMCが始まってから、サウンド・チェックのボーナス・トラックまで、6時間以上はあっただろう。
還暦を過ぎれば、体力は減るが、暇は増える。
朝から晩まで【Stan Getz & Kenny Barron】なのだ。
普通に考えれば、途中で飽きがきそうなものだが、まったくそれがなかったどころか、日を追うごとに、二人の気力が充実してくるのが伝わってきて、時間を忘れてしまった。
3ヵ月後にはこの世を去ってしまうとは、到底思えない演奏なのである。
しかし、流石に最終日のMCは辛そうに感じられた。
それでも、4日間を通じて、この日しか演奏していない 【Sofltly As In A Morning Sunrise】が始まれば、それも消し飛んでしまい、同様の【HUSH-A-BYE】に至っては、魂の迸りさえ感じる名演だと断言してもいい。
このアルバムで必ず引き合いに出される【First Song】も鬼気迫るものがあるが、私は最終日だけに演奏された【HUSH-A-BYE】が忘れられない一曲である。
この曲で燃え尽きたのかも知れないと思えてくるのだ。
事実、それ以降の4曲は、今にも折れそうな【Stan Getz】を支え続ける【Kenny Barron】の姿だけが浮かんでしまう。
しかし、それはここまで5時間以上も聴き続けてきた上での話で、この1曲を聴いただけでは感じないことだろう。
それまでの時間を無駄と思うか、有意義だと思うかは人それぞれなのだ。
やがて、最後の曲【The Surrey With A Fringe On The Top】が終わり、酒の酔いも手伝って、自分の世界に浸りきっている私を、ボーナス・トラックのサウンド・チェックが現実に引き戻してくれた。
そのあと、酔いに任せた頭の中で響いていたのは、はじめて彼の音を聴いた、ROOST盤の【Dear Old Stockholm】だった。
彼が最後の残した演奏は、私が出逢ったころの演奏を思い起こさせてくれたのだった。
死期を悟ると、人は原点に戻ると聞いたことがある。
それは、あながち嘘ではないようだ。
だとすれば、私なら、さしずめギターを抱えてクラプトンやBBキングの物まねを演っていることだろう。
そう考えれば、ひがないちにちジャズに浸っている今の私なら、まだまだ、長生きできることになる
それがいいことなのか、悪いことなのか、決めるのは私でないことは確かである。
【HUSH-A-BYE】
【Dear Old Stockholm】
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