火垂るの墓・アメリカひじき

歳を重ねると涙もろくなるというのは、強ち間違っていないようである。

久しぶりに読んだ【火垂るの墓】で、不覚にも目頭が熱くなってしまった。

文庫化されたのを期に読んだのは、二十歳過ぎだっただろうか。

正直なところ、あまり印象に残っていない。

その証拠に、その文庫本は行方不明のままになっている。

その所業が、若さのせいだったのか、未熟な読解力のせいだったのかを推し量ろうとしても、その術はないのだが、確かなことは、当時の私は生きることに精一杯の余り、そこまでのゆとりがなかったのだと思う。

その後、三十路も半ばになったころ、とある女性からのお誘いで、この作品のアニメーション版を鑑賞する機会があった。

現在もそうであるように、アニメーションの類には、まったく興味を持てない私としては珍しいといえる。

まっ、密かに抱いた下心のなせる業だったろうことは否めないが、居心地の悪いひとときだった記憶しかない。

それ以上に、私の横でそっと涙を拭う彼女の姿の方が鮮明に残っている。

今でいうならキャリア・ウーマンとして働く普段の彼女からは想像だにできない、その仕草は、まことに印象的だったのだ。

このときも、初めて女の子と映画館へ行き、エンド・ロールの際に同じ仕草をしていた彼女に驚き、『女の子は映画を観ながら泣くものなんだ!』と、まだまだ初心うぶだったころの自分を思い出したぐらいで、作品の記憶は残っていない。

今回は、某小冊子に掲載された【泣きたくなったときのお勧め本】というコラムを読んだのを期に、本書を再読した結果、冒頭の目頭が・・・となってしまった訳である。

それを歳のせいにしたところで、所詮は逃げ口上でしかないのだろう。

ここは真摯に『先が見えてきた、ゆとりのお陰』と、胸を張るべきなのだろうか、そこが迷うところである。

そして、作品としての評価や知名度からすれば【火垂るの墓】に軍配が挙がるのだろうが、私は【アメリカひじき】の方が好きなのである。

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