片手落ち

どうやら、この言葉は差別用語らしい。

某国営放送の番組中に、お詫びのコメントが入り、はじめて知った。

障害者に対する行政のあり方を検証する番組だった。

しかし、正直言って、どの場面でこの言葉が使われたのかを、今でも思い出せないでいる。

それほど自然な流れの中で使われた言葉だと思う。

差別用語に関しては、デリケートな部分だけを問題にすることが多い。

しかし、根本的な部分からは目を背け、臭いものに蓋をしただけの内容になっている。

『めくら』が差別用語なら『めくらめっぽう』も駄目になる。

これが現実なのだ。

そんな、重箱の隅を突っつくような真似をしたところで、何らかの解決策を生み出すことなど到底できないのである。

挙句、尋常小学校の国語の教科書に『めくら』という語句が出ていると言えば『そんな教育を受けていたから戦争を始めたのだ』となる。

信じられないことだが、これは左寄りとして有名なA・TVのニュース番組で、メイン・コメンテーターが真顔で発言した言葉なのだ。

差別用語とは、向けられて側ではなく、それを発した側の問題なのである。

尊厳や敬意をもって発せられた言葉なら、受け取る側も差別とは感じないだろう。

しかし、どんな美辞麗句びじれいくを並べ立てようが、差別を押し隠した言葉からは差別用語の匂いが鼻を突く。

著名な障害者の方が、ご自身の著書の中で『障害を持つことは不自由ではなくて、少しだけ、不便なだけなんです』と書かれていた。

私は、この言葉の裏に、腫れ物に触るように、あるいは、見せかけだけの優しさで接するのではなく、極自然に接しながらも、少しだけゆとりを持って接して欲しいという願いを感じられたのだ。

それと同時に、不毛としか思えない差別用語論争に終止符を打つ名言だと思っている。

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