曲尺

このタイトルを【かねじゃく】と読める方の数はどれぐらいだろう。

そして、読めたとしても、実際にそれを目にした方は極めて少ないのではないだろうか。

昭和34年に悪法(私はいまだにそう確信している)として名高い【計量法】が施行され、日本固有の尺度【尺貫法しゃっかんほう】の使用が禁止された。

メートル法を世界基準として使うことはわかりやすくもあり、私とてやぶさかではない。

しかし、だからといって古い単位の使用を禁止し、ましてやその使用を犯罪扱いするのは絶対に間違っている。

当時の人々は、刀狩りよろしく、ものさしを取り締まった役人たちを『1メートルは一命取る(いちめいとる)』と揶揄していたという。

そして何よりも、古い単位を使えなくなることは、結果的に使わなくなり、同時にそれを測るための【ものさし】もなくなることを意味する。

言い換えるなら、伝統ある文化の断絶にも繋がる一大事なのである。

これは、決して大げさに言っているのではない。

例えば【鯨尺くじらじゃく】と言えば和服にはなくてはならないものである。

和服は採寸から仕立てに至るまでをこれを用いて行う。

鯨尺の1尺は曲尺の1尺2寸5分である。

その由来も興味深いのであるが、またの機会にするとして、これをメートルに換算することは基本的に無理があり、仮に換算したとしても誤差がでてしまう。

和服をメートル換算で仕立てたとしても羽織るに耐えない代物しかできないであろう。

私の母も元気なころは和服の仕立てをしていたが、使い込んで黒く変色した鯨尺を器用に使っていたことを覚えている。

そして、布団のサイズもこの単位に由来しているのだ。

現在、標準とされている敷布団のサイズは100×195cm。

現在の布団生地は大半が一枚布であるが、もともとは反物から作られていた。

高級布団は、現代でも着物用の反物から作られていると聞いている。

当時の庶民は着古した着物を解き布団を作っていた。

1反の反物を6等分する。

綿反物は幅1尺、長さ3尺。

表裏3枚ずつ繋ぐと約106×200cm。

これから縫い代と綿入れのふくらみ分を引くと100×195cmとなるのだ。

未だに業界では敷布団を『三布みの』掛け布団を『四布半よのはん』と呼称する口調が残っているそうである。

他にも、その名の通り畳に用いる【畳屋尺たたみやじゃく】、釣りざおを作る際に用いる【分差ぶざし】、下駄や草履などに用いる【文尺もんじゃく】などあり、すべてその用途に最も適するように工夫が施されている。

そして、それらの長さの基準になっているのが【曲尺】なのである。

私の知人に大工の棟梁がいる。

今は現役を退いてしまわれたのだが、以前、その棟梁から、曲尺の講義を受けたことを思い出したのが、今回の元ネタになっている。

曲尺とは、長手1尺5寸8分、短手7寸5分が直角に組まれた鋼鉄製のものさしである。

単に尺と言った場合はすべて曲尺の1尺を指し、かつてはすべての基本尺度となっていた。

これを自由自在に操る様を『大工は曲尺一本で、物置小屋から法隆寺までを建てることができる』と言ったものである。

それほど曲尺とは優れたものなのだ。

例えば、長手の裏面には1尺2寸を8等分して『財・病・離・義・宮・劫・害・吉』の8文字が刻み込まれており、これを【門尺】と称して家相の吉凶判断にもちいる。

また、表尺で1尺とり、裏目を見れば1尺4寸1分。

つまりルート2倍なのである。

これは正方形の部材から対角線の部材を取るときなど、1辺の長さがわかれば即座に対角線の長さがわかる仕組みになっている。

あるいは、屋根や軒に勾配をつける際にも分度器などは用いず、曲尺を斜めに当てがうだけで勾配を測れるのだ。

また、日本家屋の作る際の基本は『けん』である。

間とは柱と柱の間の意味で、柱を立てる位置を決める単位であり、その長さは日本人の体格が基本となっている。

1間は6尺。鴨居から敷居までが1間である。

その昔は『6尺の大男』といわれた。

6尺は約180cmである。

つまり、1間の高さなら鴨居に頭をぶつける人は少なかったのである。

その他にも、家具の寸法も間を基準に作られているし、建具などもそうである。

更に、大工が用いる最小単位は1分であり、これは1mmより長い。

これは扱うものが木材であり、それが生きているからである。

木材は伸縮する。

新築の家は数年を経てやっと土地に馴染み落ち着くのである。

初めからmm単位まで採寸しても意味がないし、それ以上に大切なのは、木の伸びを読み込んだゆとりを含む採寸なのである。

如何であろうか。

我々のまわりには、この他にもメートルでは処理できない多くの事柄が今も息づいている。

ただ、我々がそれに気づいていないだけなのである。

これで、尺貫法をなくすということは日本の伝統文化を滅ぼすに等しいということを、少しは理解していただけたと思う。

英語もフランス語も話せることがカッコいいのなら、メートル法と尺貫法を使い分けることもカッコいいことなのだ。

今更ながら『日本の暮らしは、日本のものさしでしか測れない』と言った棟梁の言葉が身にしみている。

因みに、現行の計量法は平成4年に全面改定されたものである。

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