視線というものは、時として不躾に人を傷つけることがある。
私がトライアスロンを始めて間もないころ、自転車で落車(転倒することをこう表現する)して利き腕を捻挫した。
一週間ほどで治ったのだが、その間、ずいぶん不自由を強いられた。
そんな折、自分に向けられた視線について考えさせられる事柄と遭遇したことがあった。
それは、友人の家へ届け物があり出向くことにした日のことである。
怪しい空模様に準備万端、傘を小脇に抱え、正常な方の手に荷物を持ち出かけた。
案の定、駅に着いたころには雨が降り出していた。
そこで気づいたのだが、荷物を抱えていたのでは、せっかく持参した傘がさせないのだ。
タクシーに乗るような距離ではないし、友人を電話で呼び出すのも気がひける。
仕方なく傘を小脇に抱え、雨の中を歩き始めたときである。
すれ違う人が、皆一様に怪訝そうな視線を送ってくるのだ。
特に、年配のご婦人は薄気味悪そうな上に、好奇心を丸出しにした視線をぶつけてくる。
確かに、事情が飲み込めない人にとって、雨の中、傘をささず、小脇に抱え歩く姿は奇異に映ったことだろうと思われる。
しかし、私は非常に腹立たしい思いに捕らわれたのだ。
以来、人を見る時には、私なりの気づかいを忘れないように心がけるようになったのである。
人は様々な事情を抱えて生きているものだ。
自分の間尺に合わないからといって、不躾な視線を送るのは慎むべきだろう。
少なくとも、私はそう肝に銘じている。
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