エレベーターに乗ると、私の好きな香りがした。
私が乗り込んだときは無人だったので、少し前に乗っていた人の残り香だろう。
それが、強くもなく、弱くもなく、絶妙な濃さで漂っていた。
それだけで、殺風景な四角い箱が、いつもとは違って感じられ『きっとその人は香りのおしゃれが上手な人に違いない』などと、勝手に決めてしまった。
香りに限らず、おしゃれ上手な人と出合ったときは、心が和み嬉しさが込み上げてくる。
昔、そんな人と出会ったことを思い出した。
昔と言っても、京都で下宿していたころのことなので、40年以上も前になる。
友人と夜通し遊びまわり、気が付けばアルバイトの始まる時刻が迫っていた。
当時の私は京阪電車を利用しており、アルバイト先も三条にあったので、慌てて駅まで走り、いつものように出札口で『三条1枚』と言いお金を差し出した。
自動改札はもちろん、切符の自動販売機なども無かった時代のことだ。
そこで、はたと気がついた。
そのとき遊んでいたのは三条界隈で、私が駆け込んだ駅は紛れもなく『京阪三条』だったのだ。
しかし、ときすでに遅し、私はしっかりと『京阪三条』で『京阪三条』までの切符を買おうとしていたのである。
それに気づいた瞬間、恥ずかしさで居たたまれない時間が流れた。
だが忘れもしない、そのときの出札の駅員さんは、にっこりと微笑みながらこう言った。
『タダでいいよ』
その一言で私はどんなに救われたことだろうか。
当時はまだ若かったこともあり、感謝の気持も表せないまま、アルバイト先へ走ったのだが、今にして思えばなんと『おしゃれな言葉』だったろうと感心している。
言葉のおしゃれは、最新ファッションのように華やかさも無いし目立つことも無い。
でも、無料で身に付けられる最高級のアクセサリーだといえる。
流行り廃りは無いから一生涯使えるお値打ち品。
但し、どこにも売っていない。
身につけるためにはちょっとした努力がいる。
でも、それは意外と簡単にできると思う。
自分を引き立たせる洋服や、美しく変身する化粧品を選ぶのもよいが、それと同じように、言葉も選んでみてはどうだろう。
私のような錆びついてしまった頭では無理でも、柔らかで動きの良い若い頭で考え、自分にできるところから始めれば良いだけなのだ。
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