我武者羅

これで【がむしゃら】と読む。

久しく忘れていた言葉だけに、印象深く、記憶に残ってしまった。

早速、手持ちの辞書を引き比べてみると、押しなべて【向こう見ず】と表現されていた。

周囲をかえりみず突き進む、言いかえれば【猪突猛進ちょとつもうしん】である。

しかし、勢いに任せたその姿は、血気盛んな時期ならば【我武者羅】と言うに相応ふさわしいとしても、私のように歳を重ねてしまった者には、些か当てはまらない。

なぜなら、私の【我武者羅】の中には 【ほどほど】が含まれているからである。

周囲をかえりみながらの【我武者羅】なのだ。

それは、肉体的な老いも一因しているであろうが、何よりも、わが身にぶ厚く張り付いてしまったモロモロにるところが多い。

そして、厄介なことに、そのモロモロたるや、重ねた歳に比例して、厚みを増し続けているのである。

背負っているもろもろの事柄にじっと耐え、淡々と日々を暮らす。

そのような方々が私の周りにもおられる。

その静かで揺るぎない力に出逢うたび、私は敬慕けいぼしてしまう。

そして、このような力強さこそが【我武者羅】の本質なのだと思い知らされるのだ。

それに比べれば、私の頑張りなど、如何ほどのものであろう。

80歳の方からすれば、私などはまだまだ青二才。

90歳の方からなら、はなたれ小僧。

「知った風な口を利くな」とお叱りを受けるであろうが、ならばそれを逆手に取り、歳相応の【我武者羅】をやって行こうと思っている。

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