荻原 浩(著)光文社 2004年
競っている訳ではないが、最近の読書量では相方に大きく水を開けられている。
私がもっとも読書に精を出していた三十路のころに勝るとも劣らないだろう。
数日前に『読む本が無くなったぁ~』と叫んでいたかと思ったら、もう家のテーブルの上に数冊の文庫本が積んであった。
因みに、私は単行本派であるのに対して、相方は文庫本派である。
その一番上に乗っていたのが【明日の記憶】だったのだが、私には読んだ記憶があった。
しかし、こんなときの備忘録用にと作っておいたサイトで確認したが載っていなかった。
それでも、文庫本のページをめくると、冒頭の一節に覚えがあったので、確かに読んでいるはずだ。
そうなると、もう気になってしかたがない。
未整理の本棚をゴソゴソ探すうち、それは出てきたのである。
懐かしさから、数ページ読み進めていると記憶が戻ってきた。
広告代理店の営業部長である主人公が、50歳にして若年性アルツハイマーを発症し、消え行く記憶の中で、社会や家族との葛藤を抱えながら病と向き合っていく作品だった。
読んだのは還暦を迎えるあたりだっただろうか?
そのあたりの記憶は定かではないが、未整理棚にあったのは、やはり印象が薄かったのだろう。
会社勤めの期間が少ない私には、会社内での軋轢に苦しむ主人公に感情移入し難かったし、救いの手助けとして陶芸が使われていたことにも安易さを感じてしまったのだと思う。
しかし、作品としては秀逸で、多くの方が心を打たれたことに疑う余地はない。
人生の終わりをカット・アウトと準えながら、しかし自分の死はフェイド・アウトのように、ゆっくり、少しずつ人生を消していく。
それを
“まぁ、しかたない”
と諦めつつも
“なぜ私が?”
と抗う件には訴えかけてくるものがあった。
そして
記憶が消えても、私が過ごしてきた日々が消えるわけじゃない。私が失った記憶は、私と同じ日々を過ごしてきた人たちの中に残っている
その言葉が、たどり着いたひとつの結論のように響いてくる。
物語の最後は、すでに記憶からは存在が消えてしまっている妻と山道で出逢い、名前を尋ね『いい名前ですね』と言う。
私はこの部分が一番好きなのだ。
【大好きな人に、もう一度、恋ができる】
そう思えば、記憶を無くすのも満更ではないと思えてくる。
しかし
『記憶を無くさなくても恋はできるでしょう?』
現実的な相方からは、そんな言葉が飛んできそうなので、考えないことにしている。
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