人がまだ文字を持たなかったころ【いしぶみ】なるものがあったという。
例えば、遠く離れた恋人に思いを伝えたいとき、その気持ちにぴったりの石を探し出し、旅人に託ける。
旅人から受け取った相手は、その石を手に包み込み、眼を閉じて、込められている思いを感じ取るのである。
ゴツゴツとした石ならば、荒んだ思いを感じるだろうし、丸く柔らかな手触りならば、安らぐ思いが伝わってくるといった具合だ。
気の遠くなるような昔の話として聞くぶんには、何ともロマンチックで心が和むのだが、如何せん、そこは卑俗を絵に描いた私である。
『三年間じっと待ってました!』と、大きな漬物石でも送りたい場合は運んでくれるのだろうかなどと勘ぐってしまった。
しかし、ラブレターの起源がこの【いしぶみ】だとすれば、学ぶべきことは多いだろう。
現代は、しゃべり過ぎの時代である。
マスメディアを中心に誰もが早口でまくしたてている。
その影響だろうか、近頃は、手紙までが、おしゃべりになったように思う。
マニュアル書から書き写したような文面に比べれば、しゃべるように手紙を書くことは結構であるが、何とも度を過ぎているものに出くわすことが多い。
『簡潔』『省略』『余韻』これが手紙の三要素であり、それに加えて、その時点でその人にしか書けない情景や言葉をひとつ書き添えるのがよい手紙だと聞いたことがある。
俳句や和歌のように、行間から、情景が香り、声が聞こえるような手紙を書けということであろうが、そんな手紙をしたためられるのはいつのことになるやら。
それこそ、気の遠くなるような話に思えてきた。
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