未練の捨て場所

パソコンという奴は、使えば使っただけのゴミが溜まる。

だから、定期的な掃除は欠かせない。

ある日、まったく使わなくなったデスクトップ・テーマや不要なファイルを削除しながら、あることに気付いた。

ごみ箱の存在である。

コンピューターと言えば、人間らしさという点から、もっともかけ離れた存在だ。

とにかく融通が利かない。

少しでも間違ったことをしようものなら、けたたましい警報音で脅(おど)しをかけてくる。

そもそも、この世の中、半分以上は融通を潤滑油としているから滑らかに動いているようなものだ。

『そんなに目くじらを立てなくていいだろう?!』

などと言ってみても、相手が機械では一向に埒(らち)が明かない。

そんな中、唯一(ゆいつ)ごみ箱だけには人間臭さを感じてしまうのだ。

不必要なファイルを、ゴミ箱に入れてしまえば捨ててしまったような気になれる。

しかし、ゴミ箱を空にするまでは単に移動しただけのことで、いつでも元に戻すことができるのだ。

そのことが頭の隅にあればこそ、いとも簡単に捨ててしまえるのだろう。

それを『未練』の隠れ蓑(みの)と考えれば、これほど人間臭い感情はない。

パソコンのOSがWin2000だったころの話だ。

レジストリーを弄(いじ)れば、ごみ箱の名前を変更できることを知り、真っ先に思い浮かんだ新しい名前が【未練の捨て場所】だった。

実際に変更して、しばらく使っていたが、無機質なデスクトップの中で、そこだけが人間臭かったことを、今でも思い出す。

残念ながら、現実の社会では、こんな都合のいい捨て場所など見当たらない。

未練は未練としてバッサリ切り捨てるか、あるいは持ち続けて苦しむか、そのどちらかを選択しなければ、その先へは立ち行けなくなってしまう。

『捨てたつもり』は、通用しないのだ。

近年、増殖しつつある、SNSを初めとしたインターネットを介さなければ人と繋がれない多くの人々は、この『捨てたつもり』を糧(かて)として暮らしているように見える。

それが、いかにも今風で粋な暮らしだと勘違いしている風潮でもある。

しかし、確かな根拠も何も無い世界の中で多くの人と繋がることより、抱え込んだ未練に押しつぶされそうになりながら、もがき苦しみ、現実の世界で、たった1人との繋がりでも大切にすることの方が、私には何にもまして魅力的に感じられてしまうのだ。

【未練な捨て場所】は、デスクトップだけでいいのである。