言葉の重み

言葉とは不思議である。同じ言葉と出会っても感じ方は千差万別で、感動もすれば聞き流すこともある。

その違いの裏には、受け取り手が歩んできた道筋が影響しているようだ。

いつだったか忘れてしまったが、朝の生放送を観たときの記憶が蘇ってきた。

それは、地方の放送局が製作した番組で、その地方に古くから伝わる竹細工を半世紀以上続けてこられた老職人を取材したものだった。

この手の番組ではお決まりの、レポーターと称する若いお嬢さんが、これまたお決まりの甲高い声で矢継ぎ早に質問をぶつける。

老人は聞くでもなく、軽く頷いたり短い返事を返しながらも、決してその手を休ず、淡々と竹を編みつづけている。

カメラがその節くれだった手をアップで映しだす。

このあたりのカメラ・ワークは秀逸なものであった。

しかし、それをあざ笑うように割り込んでくる、お嬢さんのハイトーン・ボイス。

淡々と仕事をこなす老人。

しばらくそんな光景が続くわけだが、老人の手が一時止まったシーンがあったのだ。

『長い間、竹を編みつづけていらっしゃって、ご苦労されたことも、たくさんあったのではないですか?』

こう質問されたときだけ、老人は手を止め

『わしには、これしか無かったしな。。。ただ好きなことをやってきただけで。。。気が付いたらこうなってた。。。苦労なんてありゃせんわ。。。』

そう言って、遠くを見るような眼差しを窓へ向けた。

ほんの数十秒のカットだったが、カメラはそれを見逃さずアップしてくれた。

しかし、その余韻をかき消すように、お嬢さんのハイトーン・ボイスが響き渡る。

それを機に、老人はまた元の作業を始めたのである。

私には老人の言葉の重みがずっしりと感じられたのだが、二十歳そこそこのお嬢さんにそれを言ったとしても、どだい無理なことであろう。

しかし、あのときのカメラマンなりディレクターには、それが感じられたのに違いない。

でなければ、あのようなカメラ・ワークにはならなかっただろう。

仮に生放送でなかったら、どんな編集が成されていたか観てみたいものである。

ともあれ、言葉の重みを知る術(すべ)があったとしたら、重みを計ってみたいと思った。

しかし、あまりの軽さに計ることすら叶わないことだろうから諦めることにした。